1946年に生まれた大韓航空の歴史、戦後直後という驚きの歴史
大韓国民航空社から、大韓航空社になるまで・・・
1946年、現大韓航空の前身である大韓国民航空社が国営の企業として設立されました。
現在から50年も前のことです。
当時、世界情勢は、第二次世界大戦が終戦してから翌年ということもあり、世界は復興のための動きが最優先とされている状況でした。
創立から4年後、大韓国民航空に危機が訪れます。
朝鮮戦争の影響で、様々な制限をされた状況下での営業を余儀なくされてしまったのです。
しかし、そんな厳しい環境でも成長を続け、1954年には初の国際線を開始することに成功します。
初の国際線は台湾を経由し、香港へ行くことができる航路でした。
明るい未来が切り開ける…のはずが
国際線の運航も始まり、順調のように見えた大韓国民航空ですが、1962年に倒産をせざる得なくなってしまいます。
この時、大韓国民航空公社からと大韓航空公社になります。
大韓航空公社は、今までの国内線を継続し、さらに充実を図ります。
その甲斐あって、新社設立から4年後の1966年には、韓国の証券取引所に上場することに成功しました。
このときはまだ、国営だったのですが、民営化されたのは、上場からわずか3年後でした。
上場からわずか3年で、経営困難に…
上場して喜んでいたのもつかの間、経営危機に陥ってしまいます。
このとき、韓国政府は保有していた株をチョウ・ジュウクンという人物に譲渡しました。
チョウ氏は韓進グループという財閥グループの会長で、大韓航空公社は韓進グループの傘下に加わることになり、民営化されました。
この韓進グループは元々、トラック運送業から始まった会社だったこともあり、「運送」に関して高い技術と信頼がありました。
国際貨物国際輸送が世界第2位という現在の実績は、韓進グループの傘下だったことが大きく影響した結果と言えるでしょう。
現在では、韓進グループを支える中枢として存在しています。
さいごに
大韓航空の初代ともいえる大韓国民航空公社の設立は、戦後直後という驚きの歴史が判明しました。
ちなみに、この年に生まれた著名人はというと、初代仮面ライダーの藤岡弘さんや歌手の美川憲一さんでした。
このお二人と同い年と言える大韓航空ですが、現在さらに目標に向けて奮闘中です。
今後の発展が楽しみですね。