試行錯誤したスカイマーク、海外空港へ就航のニュースの真相は?
スカイマークは真意のわからないニュースが流れることが多々あります。過去にもこんな噂があったけどどうなったのかな?と思うものもたくさんあり、健闘して尽力してきた歴史のひとつです。
当時西久保氏が社長であったときは、ITの知識を生かしながらスピード感ある改革を目指していたようです。そんなスカイマークに起きた過去の海外話も交えてご紹介します。
ニューヨークのJFK 空港に就航予定だった?
ニューヨークに新規参入を予定していると、ニュースで流れたことがあります。それは2012年上半期の決算説明会で述べられた話だそうです。当時、超大型エアバス380が導入される話があり、当初はヨーロッパを検討していましたが、なぜかニューヨークの話の方が広まってしまったとのこと。
当時の西久保氏の話によるとニューヨークのJFK空港において超大型エアバス380が駐機できるゲートの使用について交渉していたとか。ニューヨークのJFK空港は意外にも激戦区の空港のため、進展が見られなかったそうです。
台湾に就航予定だった?
2010年以降にスカイマークは台湾に就航しようとしていた時期があります。実際に、過去に韓国の仁川空港にチャーター便を飛ばしていた過去があって、台湾を皮切りに海外への進出を目論んでいたそうです。
しかし、当時、機長の不足により前代未聞の大量欠航を起こしてしまった過去があります。
そのため、就航ともなれば定期的に安定して飛ぶ必要があるため国交省側は難色を示していたそうです。
国際便を飛ばし欠航になった場合、両国の間で恥さらしになるとして、まずは国内線の管理から行うように指摘したとされています。
その当時スカイマークは11機所持していましたが、国交省の基準で12機になると大手とみなされ、小松空港や中部空港、熊本空港などに就航の場所を広めようとしていた矢先でした。
さいごに
スカイマークは、良い意味でも悪い意味でも挑戦を繰り返しトライ&エラーを繰り返しています。
その背後には時代の流れによるLCCの価格競争があったり、JALの経営不振があったりとさまざまな理由が見え隠れしています。
西久保氏は航空業界とIT業界が混ざることで革新的な変化をスカイマークに起こした人物ともいえるでしょう。現在は西久保氏は経営不振により社長の座を退く形になりましたが、スカイマークのミニスカートといい、斬新な発想力でスカイマークを変えた人です。